「……その目付き、何とかならないのかな?」
私は少し遠慮がちに言ってみる。
ここできつく言うことは、かえって相手の加虐心を煽るだけ。
そんな彼が細い目をさらに弧のように細める時、それはとても危険な信号。
何か好からぬ事を考えているわけで、嘘吐きなくせに表情が素直に出てしまう。
ただし好からぬ事と言うよりは……
何しろ口元を緩ませ涎を垂らさんばかりの顔なので、考えていることは訊かずとも分かるというもの。
「クックックッ。そりゃしょうがないね。目の前に美味しそうなデザートを置かれたら、誰だってこんな顔になるだろ?」
カフェの小さな丸テーブルを挟み、ヒソカが嬉しそうに笑う。
デザート……？
目の前のテーブルには、お菓子もケーキも置かれてはいない。
置かれているのは私達が注文したカフェ・ラテとカプチーノだけ。
ヒソカは私に向けた視線を一時も離すことなく見つめている。
もちろん目は細めたまま。
彼の口元に運ばれたカプチーノの表面には、スチームドミルクでハートの絵がかわいらしく描いてある。
少し冷ますためにふっと息をかけると、ハートの絵が不安定に揺れる。
まるで私達の関係を暗示しているかのようだ。
かろうじて保つハートの絵。
それを人の気を引くようにわざと音をたてて啜るものだから、泡のハートがヒソカの口元に消えてゆく。
「ところで、いつまで眉間に皺をよせているつもりだい？ボクとしてはその顔もけっこう魅力的だと思うけど、やはり笑っている顔の方が素敵だろ。でもボクが一番気に入っているのは、ベッドでのキミの表情さ」
ヒソカは相変わらず口角を上げているが、先ほどよりはぐっと落ち着いた笑いになっていた。
何だってこんなにクルクルと表情が変わるのだろう。
危険な香りを漂わせたかと思うと、ま逆な紳士的な顔を見せる。
だから私はいつだって振り回される。
おかげで素直に笑おうとしても、無意識に口元が引き攣ってしまうではないか。
「……私って、ヒソカにとってデザートなの？メインにはなれないの？」
今のヒソカの一言が引き金となって、訊かなければ良いことを上擦った声で訊ねてしまう。
ヒソカが細くしていた目を見開いた。
私は逆にヒソカの視線から逃れるため、テーブルに置かれたカフェ・ラテに目を移す。
日曜日の午後、ヒソカに呼び出されてコーヒーショップにやって来た。
たぶん私達は付き合っているのだと思う……否、付き合っていると信じたい……
何故って、ヒソカは私の容姿や服を褒めることはあっても、私そのものを好きだと言ってくれたことはない。
それにヒソカの周りには、何人もの女性の影が見え隠れ……
それが分かっているくせに誘われれば嬉しくて、尻尾を振ってノコノコと出かけてしまう愚かな私。
だいたい２人の関係はといえば、たまたまハンター試験で知り合っただけのこと。
ヒソカは受験者で、私は試験の雑務を行うハンター協会の事務職。
試験会場の受付で私達は出会い、私は彼の事務手続きをして受験番号㊹番の札を渡したに過ぎない。
彼は何度かハンター試験を受験しているらしく、３ヶ月前にハンター協会に入った私より場慣れをしていた。
あの時は受験者の対応に忙しく、ヒソカと交わした言葉は二言三言で、ろくすっぽ顔を見ることも出来なかなった。
手続きが済んだヒソカの背を見送ると、横に並んで受付け業務をしていた同僚が、あれが噂のヒソカだと教えてくれた。
何でも昨年のハンター試験で、試験官と受験者２５名を再起不能にしたのだと耳打ちをしてくれる。
まだハンター協会に入って間もない私に、外見からだけではその危険性なんて分かる由もなかった。
ただ事務手続きをした彼の書類に貼られた写真を見直し、『もしかして、私好みかも』と思ったくらい。
それが試験が始まる直前に、ヒソカが受付けに再び現れた。
椅子に腰かけた私に身を屈め、どアップで迫って来るヒソカの顔は、もしかしなくても私好み。
彼にいきなりメアドを書いたメモを渡され、あたふたしているうちに何だかんだで１年半ほどの付き合い。
付き合っていると言っても、何かと忙しいヒソカと会えるのは月に１回程度。
たった１日しか会えない場合もあれば、１週間程私の家で過ごす場合もある。
そんな時はヒソカと一緒にいるために、私はハンター協会の有給休暇を溜めていた。
また数ヶ月会えないことも過去にはあった。
そして久しぶりに会えばお決まりのコース。
これって、本当に付き合っていると言えるの？
全てはヒソカのペースで物事は進められる。
もしかして、私はヒソカの単なるセフレ？
よく考えてみればヒソカの誕生日を祝ったことがなければ、私の誕生日を祝って貰ったこともない。
付き合い始めて１年目の記念日も何もしなかった。
それより２人が出会った日を、ヒソカが憶えているかも定かではない。
そして何よりも不安なのは、ヒソカの周りにいる親しい女達の存在。
そんなことを考えていると、嫌でも涙が溢れてしまう。
「……もう耐えられない……ヒソカと別れる……」
そう言いながら目の前のカップを手に取り、温くなったカフェ・ラテを喉に流し込む。
衝動的に出てしまった言葉は苦かった。
カップをテーブルに戻し、少しだけ視線を上げれば、いきなりヒソカがアップで目の前に飛び込んで来る。
なに！？
ヒソカはテーブルに左手をつき、正面に座る私の顔を覘き込んでいた。
そして右手で私の顎をいきなり掴み、強制的に私の顔を上に向けた。
痛いじゃないの！何をするの！？
そう言葉を口にしたかったが、彼の親指と中指が顎関節を押さえ、口が中途半端に開いてしまう。
私がもがいていると、何を思ったのかヒソカは更に顔を接近させ、私の鼻の下をペロリと舐めた。
「クックックッ。キミの鼻の下に、白いひげが生えていたんだよ。ボク好みの甘くてクリーミーなひげだ」
私の顔が恥ずかしさで、カッと赤くなる。
一気に喉に流し込んだカフェ・ラテの泡が、私の鼻の下に見事な髭を作っていたのだ。
「キミはもう少し、ボクの好みが理解出来ているかと思っていたんだけどね」
クスクス笑うヒソカの顔が、楽しそうに歪む。
「考えてごらん。ボクはいつだって甘いものに夢中さ。メインがデザートだよ。それ以外で食べる物はご愛嬌。こんなにボクを喜ばせている女は、キミ１人だけなんだけどね」
ヒソカはそう言うと、大きな手で固定されたために中途半端に開いた口から、だらりと垂れそうになった私の涎を実に美味しそうに舐め上げる。
やめてよ人前で！こんな恥ずかしいこと！！
「キミは今、こんな恥ずかしいことはやめてよと思ったね。でもボクにとってこれは、とても甘い液体なんだ。それとも卑猥で甘い液体と言った方がいいかな❤」
サラリと出て来る言葉は、ヒソカ特有の本気とも嘘とも取れる言葉。
それが分かっていると言うのに、脳内に広がる多幸感……
信じられないような甘くて蕩ける言葉は砂糖菓子。
口に入れれば儚く消える。
甘くて歪んだ２人の関係。
ご機嫌取りの決まり文句に、私はいつだって溶かされてしまう。
どんなに逆らってみても、結局は彼の腕の中。
まるで苦さを持ったエスプレッソに注がれたスチームドミルクのよう。
そしてツマヨウジでラテアートを刻む。
もちろん描かれるのはハートのマーク。
描かれたハートを崩さぬように、私はカップに口付ける。
END
2018/11/26 改稿
2009/09/13
Backたんにカフェ・ラテとカプチーノを使った作品を作ってみたかっただけで……