Matiy 10
見てはいけないものを見てしまう。
見てはいけないから見てしまう。
一度見てしまったものを記憶から消し去るのは難しく、脳裏に刻まれる。
あたしに出来ることはと言えば、あたしにとって不都合な記憶を深く沈め、二度と浮上してこないように重しをすること。
幾度となく繰り返された作業に慣れることはなかったけれど、今度は深く沈めることが出来るような気がしていた。
幻影旅団の団員として、あたしが団長から声をかけられることがなくなって５年以上は経っていた。
シャルナークやフィンクス達とはたまに仕事をしているらしいが、蜘蛛としてのあたしは手足の機能を失っている。
それは幻影旅団の団員として存在価値がないと言われているようで、虚無感に苛まれてしまう。
別に団長の仕事をするだけが団員の役目ではないのだが、だからと言って、自ら盗賊の仕事をしたいとは思わない。
人様の物を奪ってまで欲しいと思う物はないし、金は十分過ぎるほど稼いできているから。
あたしは単なるホームの管理人となり、還らぬ住人を待ち続ける生活をしているだけだった。
時折りもたらされる情報は、昔なじみの近況。
かっては女に縛られるなんて……と、言っていた連中が、特別な存在の女性を見付けたようで、結婚こそした者はいないが、じっくりと腰を据えた生活を始め、当然のごとくホームには足が遠のいていく。
あの浮ついたシャルナークですら、二年間を同じ女と過ごしている。
日々小さな喧嘩や浮気をしても、仲直りをして一所に留まる生活。
安定を求めているわけではないのだろうが、年月が経てば、自然と歳に見合った暮らしをするようになるのが摂理なのだろう。
気分転換に旅をして、ふと目にしてしまった光景はどこにでもある光景だった。
ただし流星街以外での話しだが。
濃い緑の生い茂る公園で、子供を楽し気に遊ばせている親達。
子供のはしゃぐ声に親の満ち足りた顔。
黒髪の、３、４歳の男の子を追いかける父親の後ろ姿を何気なく追っていた。
名前を呼ばれて振り返る男の子の顔が、あいつに似ているではないか。
３歳年上のあいつの３、４歳の頃を知るよしもないが、少年時代の顔を思い浮かべれば、幼かったころはこんな顔なのだろうと何となく想像が出来る。
息をのみ、父親の背中を見詰めてしまう。
駆け寄る我が子を軽々と抱き上げ、近くにあるベンチへと歩いて行く。
途中、男の子に話しかける声が、甘いテノールであることに震えを覚えてしまう。
木陰の下のベンチには、アイジエン大陸系の美しい女性が腰掛け、穏やかな顔で夫を迎えている。
その女性のお腹は丸みを持ち、幸せが詰まっているのがよく分かる。
子供を片腕で抱え上げ、空いた反対側の手が妻の頬を優しく撫ぜる。
男がベンチに腰掛ける前に、あたしはその場を立ち去った。
あたしは被っていたつばのある帽子を深く被り直し、歩いてきた方向へと踵を返す。
幸せに満ちた声が遠ざかってゆく。
突然の出来事に頭の中は混乱し、気持ちは千々に乱れていた。
男の顔を見たわけじゃない。
子供を追いかけている姿から父親と思っただけのこと。
ベンチに腰掛けていた女性とは、ただの知り合いかもしれない。
何一つ確認したものはなく、何も確定する要素はないのだ。
ならばあたしにとって都合よく考えればいいではないか。
今までだってそうしてきたのだから。
あいつが抱いてきた女達は欲望の吐け口。
若いのだからしょうがない。
それにあの容姿なら、かってに女達が騒ぐだろう。
そう自分に言い聞かせていた何かが、切れかかっているのが分かった。
頬を伝わり落ちる涙……
自分の居場所を見付けた朋輩。
何を求めてこの街へやってきた？
以前団長が、シャルナークとしていた会話を小耳に挟む。
「ねぇ、団長。住むんだったら、どの街がいいと思う？」
「住むと言ったって、どういう状況によるかだな。短期に住むなら便利な大都市を転々とするのもいいが、長期に住むなら刺激の少ない場所がいい」
そして長く住むならばと、一番候補で上がったのがこの街だった。
大都市のすぐ隣にあるというのに、緑に溢れ、犯罪とは無縁の街。
数多くの土地を渡り歩いた男が、想いを入れて口した地名。
あたしはその街を一目見てみたかった。
長期に住むのだったら……家族と住むのだったら……
あのころからあんたは自分の居場所を求めていたことに、あたしは気が付いていなかった。
きっと子供のころから探し求めていたのだろう。
気が付いていなかったのはあたしだけ？
もっと早くそのことに気が付いていたなら、あたし達の関係はもっと違ったものになっていただろうか。
今となっては遅すぎる。
暫らくは虚空な時を過ごすだろうが、でもその向こうにはきっと……
End
2017/03/07 改稿
2010/08/06
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マチ２９歳。クロロ３２歳設定。女性が陥る境目年齢の話しを書いてみたかった。３０歳になったからといって、何もかわりはしないのですが。