俺はフェイタンとハーレムの裏通りをほろ酔い気分で歩いていた。
適当に選んだバーで景気付けに飲み、その後は勢いでいかがわしい店に入ったのだが大当たり。
よくぞこんな裏通りにと、感激するほどの別嬪が俺達を持っていてくれた。
ここのところ女に縁がなかったせいか、ショートタイムを派手に遊ぶ。
かなりチップをはずんだせいか、女達は最高のサービスをしてくれ、俺達は昇天することに。
『また来てね♪』と、女達の機嫌の良い声に見送られ、スッキリした俺達は店を後にする。
すでに夜中の1時を回っていたが、客を取りそこなった娼婦が角々にたむろしている。
派手な化粧に安物のアクセサリーで飾りたてた女達。
9月の中旬とはいえ昼間の熱気が残り、まだ商売前だと言うのに薄らと汗をかいている。
俺達の腕を取り、安くするから私を買ってくれとせがむ女。
今宵の寝場所と少額紙幣を手に入れようという娼婦達を冷かしながら、俺達は仮宿に向かっていた。
とある角に来た時だった。
娼婦には見えぬ小柄な女が現れ、俺の腕を掴み路地の暗闇に連れ込んだ。
そして細い腕が俺の首に絡まる。
精一杯背伸びをした女の唇が、俺の酒臭い唇に触れた。
突然のことに俺は目を見開き、ほろ酔い気分がぶっ飛んだ。
フェイタンも女のいきなりの行動に唖然としている。
近くで何やら物騒な話し声がする。
「畜生！！どこに逃げやがった！」
「まだ近くにいるだろ！見つけ次第捕まえろ。抵抗するようだったら殺せ！！」
随分と物騒な会話に、フィンクスは女の行動が何であるかを即座に理解した。
追手がかかっているのか……
理由は知らないが、俺を頼ったのだから協力してやろうじゃないか。
大柄な身体で女を隠し、ビルの壁に押し付け偽りのキスをする。
唇を割り、舌先と舌先が触れる。
びくりと逃げる女の腰を引き寄せ、自分の身体に密着させた。
女の期待どおり、一時の濃密な恋人を演じてみせる。
絡まる舌に、女は抵抗しようとはしなかった。
背中に感じる視線……
見るからにそのスジと分かる男が、濃厚なキスシーンに 『チッ！』 と舌打ちをする。
「こっちにはいないぞ！もっとよく探せ！！」
バタバタと黒いスーツを着た男達が走り去る。
靴音と殺気だった気配がどんどん遠のいて行く。
完全に気配が消えたころ、余韻を残すように、フィンクスは女とゆっくりと離れた。
演技のはずだったのに、なぜか互いの頬が紅潮し、見つめ合った状況になってしまう。
刹那、大きな目を見開いていた女は我に返り、視線を僅かにずらす。
「……お兄さん、助けてくれて有り難う」
「……大したことじゃない。奴らが戻って来ると不味いから、早くここを立ち去れ」
女はこくりと頷き、手を振ってあっと言う間に居なくなる。
よく見ればなかなか良い女だった……
女の消えた方向をじっと見ながら、眉間に皺をよせながら言った。
「……あの女、よく考えたら血の臭いがしやがった。怪我でもしているんじゃないか。……フェイタン。悪いが先に帰ってくれ」
「フィンクスも好きね。余計なことに首をつこまない方がいいあるね」
「分かってるよ。ちょっと様子を見てくるだけだ」
無視されたフェイタンは諦め顔で、
「じゃワタシ、先に帰るね」
フィンクスは女を追って走り出す。
逃げた後に残る微かな血の臭いを追跡する。
ほどなくして先を行く女に追いついた。
軽く肩で息をしながら走る女と、フィンクスは並び目を合わせた。
肩甲骨にかかる金髪が、美しく揺れている。
大きく見開いたブルーアイに、男の姿が映る。
「……」
「よぉ、先ほどは。お前、怪我しているんじゃないか？血の臭いがするぞ」
女は走る足をゆるめた。
「そんなことを言いに、わざわざ追いかけてきたの？」
「まっ、そんなところだ。」
女の言葉に少し照れたのか、フィンクスは頭をボリボリと掻く。
「……心配してくれたんだ、有り難う。お兄さん、優しいね」
女は男の言葉に完全に足を止めた。
すでに二人はハーレムを七ブロックほど離れ、追手を十分に離していた。
男の常人でない走りに、二人は互いに念能力者同士であることを悟る。
「血の臭いの正体はこれだよ」
そう言うと、大切そうに抱えていたショルダーバックから、20センチ四方の箱を取り出し開けて見せる。
そこには、ドクンドクンと脈打つ心臓が一つ入っていた。
見せられたモノに一瞬ギョッとしたフィンクスだったが、『凝』を使って見れば、薄いオーラの膜に包まれている。
「何だこりゃあ！？」
「見てのとおり心臓だけど」
「そんなことは見れば分かるが、なぜ心臓だけで脈打っている！？」
あり得ないシチュエーションに、フィンクスの言葉が早口になる。
女はにやりと笑いながら、
「そう、先ほどある男から盗んできたばかりだから、生きがいいのさ」
少し冗談混じりで答えた。
「それで追っ手がかかっていたのか。ならば安心しだぜ。どこか怪我でもしているんじゃないかと心配したんだ」
フィンクスは安堵の溜息を付く。
女は心配してもらったことに、嬉しそうに笑みをこぼす。
「それにしても、お兄さんも只者じゃないね。オーラで包んである心臓の血の臭いを嗅ぎ付けて追いかけてくるなんて。あいつらと戦っても良かったんだけど、私の獲物は生物だから早く依頼者に届けなきゃいけないんだ」
女はオーダーされた臓器を専門に盗む泥棒だった。
鮮度を保つためにオーラで臓器を包み、最低限の出血に抑え感染症なども防いでいた。
専用のクーラーボックスに入れ、衝撃を与えないように移動する。
仕事が仕事だけに、依頼者の元に急いでいた。
フィンクスは彼女と一週間後に再会することを約束し、その場を別れた。
一週間後、女は約束の場所に現れた。
前回会った時はジーンズにタンクトップというアクティブな格好だったが、今日は大人っぽいミニのワンピースに着替え、セクシーに変身していた。
そんな出で立ちの女を見て、フィンクスは嬉しそうに笑う。
「本当に来てくれたのか」
女も返すように微笑む。
「わたし、約束したことは必ず守るよ」
「俺はフィンクス。お前の名前は？」
「わたしはセレナ」
セレナは臓器を盗むことを生業にしていた。
必要であらば脳ですら奪えるという。
セレナの念能力を使えば簡単な事だった。
念で右手をメスのようにして、対象者の肉体に滑り込ませる。
痛みを感じさせること無く臓器を盗みだす。
難しいのは、オーダーに適した相手を見付けることだった。
盗めれば誰でも良いというわけにはいかない。
臓器を盗まれた相手は確実に死ぬ。
従って狙う相手は死んでも騒ぎになりづらい人間、もしくは殺しても惜しくはない人間に限られる。
それと一番大切なことは、健康体であること。
案外と、この二つの条件を満たす人間の数は少ない。
依頼者の大半は病気のために死を待つ金持ちの人間。
金のためにセレナは命を右から左へと移動させていた。
あの晩は、オーダーに適した人物の心臓を盗みにハーレムに来ていた。
地元マフイアのボスの一人息子が、数多くのデータから適合者として選ばれる。
マフィアのくせに健康おたくで、異常なまでに身体を鍛えていた。
愛人の家に泊まる男から心臓を上手く奪い取ったが、運悪く念能力者のボディガードに見つかってしまう。
セレナにとって始めての失態だったが、それがフィンクスと知り合うきっかけとなった。
セレナは臓器を勘定する時に、ピースと呼んでいた。
「次のオーダーは、腎臓と肝臓のツーピース。」
女の商売は繁盛していた。
それだけ世の中に、金持ちの病人が多いということなのだろう。
フィンクスも彼女に職業を訊ねられ、隠すことなく己がA級賞金首の盗賊であることを告げた。
「フィンクスが幻影旅団の団員だなんて……わたし、すごい人に助けてもらったんだね」
褒め殺しのような言葉にフィンクスは照れた。
裏社会で恐れられている幻影旅団の名前を聞いて、セレナは驚いていたが、それ以上に感激の方が大きかった。
二人はその日を境に付き合い始める。
偶然という必然に、運命を感じるフィンクスとセレナ。
二ヶ月もたったころ、閑静な住宅街に一軒家を借りて生活を共に始めた。
知らない人間が見れば、新婚夫婦のように見えただろう。
それほど二人は仲が良かった。
ある時、フィンクスが仕事で怪我を負い帰ってきた。
たいした傷ではなかったが、セレナはフィンクスの胸で泣きじゃくる。
「もしフィンクスに何かあったら、わたしの臓器は全部あげるから」
「バカ言うな！それは俺の台詞だ。俺より先に逝ったら絶対に許さねぇ」
もはやフィンクスにとって、セレナのいない世界は考えられなかった。
それはセレナにとっても同様だった。
たまに帰るホームでは、
「お前、女ができてから付き合い悪くなったあるね」
フェイタンに嫌味を言われても全く気にならない。
いつも返す言葉は、
「悪いなフェイタン。必ずこの埋め合わせはするからよ」
いつしかホームの中で、フィンクスが結婚するのではないかと噂がでるまでになった。
二人の幸せはいつまでも続くのだと、フィンクスとセレナが疑うことは無かった。
その日は床屋に行き、着慣れないスーツをフィンクスは着ていた。
夕方、セレナの待つ家の前で薔薇の花束を抱えて立っていた。
今日は特別な思い出の日になるのだと、男は深呼吸をして気持ちを整える。
玄関の扉に手をかけた時、嫌な感覚に襲われた。
急ぎ扉を開けると、濃い血の臭いがする。
いつも嗅いでいる、セレナの仕事の血の臭いでは無かった。
「！！セレナ！！」
叫び、血の臭いのする寝室へと駆け込んだ。
椅子は倒れ、ベットが酷く乱れていた。
床には腹部を潰され、赤い海に横たわる半裸のセレナの姿があった。
小柄な彼女の身体に、これだけの血があったのかという量に驚きを隠せない。
そんな彼女を囲むように五人の男がいる。
中の一人には見覚えがあった。
「お前はあの時の！！」
セレナに初めて出会った時、彼女を追いかけていたマフィアのリーダー格の男。
フィンクスの頭が白くなる。
次の瞬間血が逆流し、全てが赤く見えた。
瞬きよりも早く勝負は付いていた。
閃光のように手刀が走り、男達は身構えることもできず首を落とす。
ごろりと転がる頭を、これでもかと踏み潰す。
膝まづき、セレナを血の海から震える手で抱き上げた。
胸から腹にかけ、目を覆いたくなる損傷を受けている。
命の炎は燃え尽きる寸前だった。
セレナが二週間前に不安げに言っていた。
『ねぇフィンクス……最近、誰かに見られているような気がするの』
『ストーカーかよ！？お前、可愛いからな……あまり出歩くな。家の鍵はしっかり掛けとけよ。やばそうだったらすぐに言え』
『ウン……でも気がするだけだから……』
セレナも念能力者であり、それなりに腕がたつ。
まあ大丈夫だろうという安心感が油断を招いた。
マフィアのボスが復讐に、セレナを狙っていたのだ。
大切な一人息子を殺した女を、この上なく残酷に殺せと部下に命令していた。
フィンクスの留守を狙い、それは実行される。
念能力者の殺し屋によって力を封じられ、あらゆる暴行を受けた。
ぎりぎり殺さぬように、半日近い地獄の責め苦をセレナの身体に与えた。
「…フィン……クス…ゴメンネ…私、もうだめ……臓器……めちゃくちゃ……」
途切れ途切れの言葉は、やっとのことで聞きとれた。
「話すんじゃない、出血が酷くなる。今治療できる仲間を呼ぶから、少しだけ我慢してくれ！」
「……無駄…もういい……フィ…ンの……顔……もう、見えな……い」
あまりの出血に、大きく見開かれたブルーアイは何も捕えていない。
ただ声のする方に、僅かに反応を示す。
血の塊りが、潰れた肺からゴボリと吐き出される。
それを最後に、二度とセレナが言葉を発することも、目を開けることも無かった。
「……セレナ」
男の身体から力が抜けて行く……
昨晩、二人は幸せの絶頂にいた。
『セレナ、明日はお前の誕生日だろ？外に食事でも行かないか？』
『外食、いいね。でも明日は、ゆっくりと家で食事をしたいかな。あまり体調が良くないの。だから暫く仕事は休むつもり』
『大丈夫かよ、医者には行ったのか？』
『ウン、今日行ってきた。大した事ないから心配しないで』
『本当か……少しでも調子悪かったら無理するなよ。俺に出来ることなら何でもやってやる。……明日の誕生日は、お前を驚かすプレゼントがあるからさ』
『わたしからも、フィンクスに素適なプレゼントがあるんだよ』
あまりにもかわいい笑顔を向けるセレナに深く口づける。
あの時の笑顔がはっきりと思い出される。
せめてもの救いは、セレナの顔に傷を付けられなかったこと……
今にも目を開け、『フィンクス』と愛らしく呼んでくれるような気がした。
スーツのポケットから小箱を取り出す。
箱の中には大きなダイヤモンドの指輪。
血に濡れた左手を取り、薬指に嵌めてやる。
「これが誕生日のプレゼントだ……結婚してくれ、セレナ」
どんなに愛情を籠めて告白しても……何も応えてはくれぬ骸。
全てを悪い夢のせいにしたかった。
現実は、あまりにも残酷で悲しい……
死ぬ者、生きる者
死んでいったワンピース
残されたワンピース
一つになるはずのピースは永遠のワンピースとなる
End
2017/09/08 改稿
2009/03/15 加筆・修正
2007/01/05
Backあえてセレナのプレゼントの中身には触れず。内容を書くと更に落ち込みがひどくなりそうで……
年明け早々、なんという暗さ……でも、それなりに悲恋好きです。今度はフィンクスに、明るい恋愛を考えてみよう。
改稿時、三人称視点からフィンクス視点に変更し、だいぶ書き足しました。