「フッフッフ～」
この女がこんな笑い方をする時は、碌なことを考えていない。
一騒動起きる前ぶれだ。
十分過ぎるほど警戒し、出来る限りこいつとは関わらないようにすることが最良の策。
だいたい二日前に道ですれ違った時、実に嫌な目で俺を見ていた。
下から睨み付けるように……あれは俺に喧嘩を売る目だった。
俺は付き合い始めた女を連れて普通に歩き、普通にお前とすれ違っただけじゃないか。
そして、『よぉ～久しぶりだな。元気か？』と、ごく普通に挨拶をしただけだろう。
それのどこが不足だったと言うんだ！！
「バカ！！止めろ！パッセ！」
パッセを見て固まった俺との距離を一瞬で詰め、パッセは勝ち誇った顔で俺に触れた。
一瞬、身体が浮き上がるような感覚に囚われたかと思うと、目の前の小さなパッセの身体は床に崩れ落ちて動かない。
同時に俺は俺という存在で無くなった。
小さなガラスの箱に俺の意識は閉じ込められ、肉体はパッセに支配されてしまう。
今だって俺の見ている世界は俺の物で有り、俺の口から出た言葉は俺の物に違いない。
触れた感触を確かめるのも俺で、与えられた痛みも俺の身体が反応するのだ。
それでいて俺は俺でなく、存在する俺の肉体はパッセに奪われ、いいように操られてしまう。
俺は口角を上げてにやりと笑い、ベッドから立ち上がる。
そして床に倒れ、抜け殻になったパッセの身体を大切に抱き上げベットに寝かす。
顔にかかった亜麻色の髪を整えてやり、
「ねぇーパッセ、少し外出してくるね。すぐに帰るから、心配しないで待っていて」
と、女言葉で俺は気持ち悪く言う。
そして俺は俺の部屋を後にする。
パッセと俺は同じ流星街育ちだ。
俗に言う幼馴染という奴で、ガキのころはクロロやシャルナーク達ともよく遊んでいた。
いつまで経ってもパッセは子供っぽく、大人になるということを知らなかった。
同じ年頃の娘達は蛹から蝶になるように美しく羽化したが、パッセだけは変わる事なく醜い幼虫のままでいた。
百五十センチ足らずの身長、凹凸の無い身体は針金のようで、短い髪、浅黒く焼けた肌、そばかすだらけの顔。
大きな緑色の目を好奇心でいっぱいにさせ、いつも子供のようにきょろきょろとしていた。
そして出で立ちはと言えば、いつも膝の擦り切れたジーンズに、二回りもでかいＴシャツをだらりと着ている。
一見すればその姿は貧相な少年と言うに相応しく、女とはかけ離れた生き物。
年頃という年齢になってくると、やたら俺に突っかかってきやがる。
クロロ達には素直なのに、俺だけに敵対意識を露にしやがった。
何でだ！？パッセをいじめた記憶もなく、そのうち面倒なパッセとは出来る限り接点を持たぬように俺はなって行く。
昔パッセは俺より先に念を身に付け得意気だった。
念能力の名前は『魂の箱』。
他人の肉体を乗っ取り操作するという、実にいやらしい念能力だ。
何しろ操作されている人間は意識が有るにも拘らず、手も足も出せずに操作されてしまう。
同じ操作系でもシャルナークのように、アンテナを刺して外側から操作するなどという優しい代物ではない。
パッセのやり方を見ていれば、あの爽やか青年を装うシャルナークでさえ天使に見えてくる。
人をロボットのように操り、意識だけをガラスの箱に閉じ込めてしまう。
1つの身体に2つの精神。
但し身体を支配するのはパッセの意識であり、身体の持ち主は第三者の立場でしか自分を見ることが出来ない。
そのくせ五感は感じるのだから性質が悪い。
宿り木にされた人間は、操作されている自分の姿を見せ付けられる。
どんなに抵抗しようが、意識が箱から出ることは許されない。
自分の身体で有りながら、操作出来ぬもどかしさ。
ただこの念にも弱点はある。
制約と誓約。
他人の肉体を操作している間、逆にパッセの身体からは精神が抜け出している。
従って本体に意識は無く、ここを襲われればひとたまりも無い。
誰かこの間に、俺に替わってパッセを殺してくれと叫びたかった！
それと他人の身体に乗り移れる時間は約三時間。
時間が切れる前に自分の身体に触れて戻らなければ、二度と戻ることが出来なくなる。
クロロが幻影旅団を立ち上げようとした時、パッセをメンバーに入れようと考えていた。
だが彼女がまったく興味を示さないので、しょうがなく諦めた。
それでも彼女の念を気に入ったクロロの奴は、念を盗もうとしたが、逆に身体を奪われ酷い目に合わされる。
それ以来、彼女の念を奪おうなどと無謀なことは考えないようになった。
未だ幻影旅団では語り草になっている。
これからパッセの野郎がしようとしていることは、だいたい見当がつく。
体力が非力な彼女は、俺の身体を使って自分をいじめた奴へ復讐しようとしているのだ。
貧相に見えるパッセは、流星街でも外の世界でもよくいじめられていた。
そんな奴らを代わりに痛めつけてやると俺は言ったが、それを拒否して自分で勝負を付けに行く。
もっとも俺の身体を使ってだが。
ここのところそんな物騒な話しも無かったのだが……二日前に偶然路上で遭ってしまい、先ほどいきなり俺の隠れ家にやって来た。
そして身体を否応なく奪われた。
俺はすたすたと、どこぞに向って歩いている。
立ち止まれば見覚えのある高級バー。
最近口説いた女が働いている。
荒々しく扉を開けた。
店の中は時間が早いせいか客はまだおらず、ホステスの女達か世間話しをしていた。
ボディラインを強調した、真っ赤なロングドレスの女が近づいてくる。
大柄なブロンドの肉感的な美女。
胸は豊満で、大きく割れた服の胸元から溢れそうだった。
「……フィンクス、来てくれたの。嬉しいは」
女は甘えるように俺に抱き付いてくる。
そして唇を濡らし囁く。
「この間の夜は最高だったは。今日は仕事を早く上がるから、あなたの部屋に行ってもいいかしら？」
嬉しい申し出に、『もちろん』と答えようとしたが、残念ながら今の俺は俺でない。
パッセは胸に頭を押し付ける女を剥がす。
そして意地悪く、
「そんなに良かったか！？俺は大して良くなかったが、お前遊び過ぎなんだよ。娼婦抱いているようで、興ざめだったぜ」
あまりの言われように女は立ち尽くす。
が、すぐに美しい顔を歪めて手を上げた。
高く鳴り響く平手打ちの音。
その音に、店の女達の視線が俺に集まる。
「ひどい！さっさと帰ってよ！！」
女は怒りを剥き出しにして言った。
何を考えていやがる。
パッセよ、わざわざ彼女を怒らせるためにこの店にやって来たのか。
俺がやっとの思いで、気位の高いこの女を落としたというのに。
一体どれだけこの店に通い、どれだけのボトルを空けたと思っていやがる！！
元に戻ったら、ただではおかないぞ！パッセ！！
殴られた左頬がじんじんとしている。
口の中の鉄味を確かめながら、店を後にする。
住いに戻ると、ナイトテーブルの上に置いた俺の携帯が鳴る。
一瞬携帯を握るのをパッセは躊躇したが、ディスプレイにシャルナークと表示され、通話ボタンを押した。
『あっ、フィンクス？俺シャルナークだけど。そっちにパッセが向ったから気を付けて』
「パッセが？」
俺ではない俺が少し焦り気味で答える。
だいたいもう遅い。
すでに俺の身体は奪われていて、しかもやっと手に入れた女との関係もぐちゃぐちゃに壊された。
あんなことを言えば修復は不可能だ。
やっと手に入れた女だったのに……
もっと早く電話して欲しかったぜ、シャル！！
『フィンクス、一体何があったのさ？えらくパッセが興奮していたよ。昨日えらい剣幕で俺の所に来て、フィンクスの素行を調べろって、大変だったんだから』
『……（俺）』
「……」
『少しパッセの気持ちも分かってやりなよ。彼女、フィンクスの事が昔から好きなんだからさ』
『……（俺）』
「……」
あまりの衝撃的な言葉に、俺の頭は白くなる。
パッセが、このパッセが俺を好きだって！？悪い冗談だろ！！
俺に嫌がらせしかしないこの女が、俺のことを好きなわけがないだろうが。
俄かに信じがたいシャルナークの話しに質問をしたくても、俺の身体は俺のものではなく……パッセの野郎が適当に茶を濁す。
シャルナークは最後に、女遊びもほどほどにしときなよねと、一言残して携帯を切った。
一番言うに値しない奴に言われて胸糞悪くなるが、原因はそれだったのか！？
二日前にバーの女を連れて歩いていたことで、パッセは気分を害したのか！？
パッセ、お前はあの女に焼餅を妬いたのか……
三日前、数ヶ月店に通って落とした女と、俺の部屋で一晩を過ごした。
想像以上に女の身体は良く、久々に満足が出来た。
しかもけっこう可愛いところのある女で、マジで付き合うかと考えていたところ。
あの日は夕方まで女と過ごし、彼女を店に送っていくところでパッセと出会ってしまったのだ。
今日だって女のことをベッドの上で考え、知らず知らずに手が股間を弄っている時、パッセが扉をぶち破るように入ってきたのだ。
そして無防備な俺の身体に触れ、俺の身体を乗っ取ったというわけだ。
俺の様子がおかしい。
ベットに横たわる自分に突っ伏し、大声で泣き始める。
泣いているのは俺だが。
そして立ち上がり、いきなり叫ぶ！
「シャルナークのバカ！！フィンクスのバカ！！こうなったら死んでやる！！」
俺はキッチンに行き、ナイフを手に取り彼女の眠る寝室に駆け戻る。
おい！どうする気だ！？
自分を殺す気か？それとも俺を殺す気か？
俺の首にナイフが突き付けられた。
落ち着けパッセ！！俺を殺してどうする！？
ナイフの先端が首に刺さり、痛みが走る。
パッセはその痛みに我に返った。
慌ててナイフを床に落とす。
目を見開き、わなわなと震えた。
「ご免なさい、御免なさい。フィンクス、あなたを傷付けるつもりは……」
俺は立ったまま、ぼろぼろと涙を流す。
俺は横たわるパッセに目を移す。
ここ数年、会えば絡まってくるパッセを避け、こいつの顔をまともに見たことが無かった。
相変わらず良く焼けた肌にそばかすだらけの顔。
しかしよく見れば、元々は整った顔立ちをしていたので、いつの間にやら美しくなっている。
幼虫から知らない間に蛹をへて、見事に羽化していたのだ。
いつも少年のような出で立ちをしているため、本来の姿を見てはいなかった。
少し遅かっただけで、華やかな女の時を迎えていたのだ。
一寸だけ身長も伸び、横になればパッセの胸は大きめのＴシャツを着ていても、はっきりと分かる豊かな胸と、括れたウェストが見て取れる。
俺の手がパッセに触れようとする。
同時に俺は彼女の柔らかい唇に触れていた。
震える唇……目覚めるパッセ……
その緑の大きな目から、ポロリと涙が落ちた。
「悪かったな……気が付いてやれなくて」
「……」
「お試し期間ということで、暫く俺と付き合ってみるか？」
その日から、パッセは俺の家に住み着いた。
可愛らしい服を着て、淡い化粧をし、髪の毛も肩甲骨にかかるまで伸びた。
苦手な料理や掃除にも精を出し、俺に尽くそうと努力するところが可愛くてしょうがない。
シャルナークの奴が見間違うほどパッセは魅力的な女になる。
だがなんと言っても蠱惑的なのは……
最初だからと、手取り足取り優しく教えてやったはずなのに、今では俺の方が翻弄されている。
身長30センチ差の恋人は、美しい蝶になる。
End
2017/09/06 改稿
2009/03/15 加筆・修正
2007/04/29
Back身体を乗っ取られているのにフィンクスがパッセにキスが出来たのは、急激に想う気持ちが膨らんだということで、話しの辻褄を合わせよう。
これも『醜いアヒルの子』、フィンクスバージョンということで。