１年に１日だけ何もしない日がある。
盗みはしない、人は殺さない、嘘は吐かない、賭け事はしない、煙草も吸わない。
そしてボランティアもしない、読書もしないという、まったくもって俺らしくない奇跡の１日が存在した。
もちろん女も抱かなければ、ナンパなんてことは当然しない。
別に身体の調子が悪いわけじゃない。
普段の行ないを悔い改めているわけでもない。
この無い無い尽くしの１日は、特定の日を決めて実行しているわけではない。
たまたまそういう日が偶然の産物として生まれてしまうのだ。
逆に遣ろうとしても実行出来るような代物ではなかった。
意識的に実行しようとしたら、ストレスのために精神の安定を失うだろう。
煩悩という欲をまったく消し去った１日が今日だった。
気分良く１日は始まった。
ホームから１日半かけてシエラの街にやってきた。
１年に１度、露天での古本市が３日間行われる。
快晴の秋空の下、大小合わせて５００件近くの店が並ぶ。
店先に広げられる本の数だけでも１５０万冊。
古地図、古文書を含めれば更に１０万点は増える。
この３日間だけは街全体が古い紙と印刷独特の匂いに包まれる。
そんな匂いにひかれ、国内外から大勢の古本マニアがやってくる。
俺もこの１０年、毎年のように訪れている。
メインストリートに並んだ上物の古書を扱う店を手始めに、脇道に並んだゴミのような古本を扱う露店までくまなく見て回る。
ごく稀に、とんでもないお宝と出会うことがあるから面白い。
本来ならオークションで販売されるべき品が、無知な古本屋のおかげで露店の店先に無造作に並ぶ。
そんな古書と出合った時は、大海に投げ捨てた一握の砂を見つけ出した時のような喜びだ。
また冷やかし半分、古本屋のおやじ達と雑談を交わし、探していた貴重な古書の情報を手に入れられる時もある。
それに古書を通じて魅力的な女と出会う機会にも恵まれる。
共通の趣味を話題に、互いの身体をより探究しあう楽しみは一晩の悦楽だ。
普段ならどんなに美しくても頭でっかちな女は遠慮するところだが、古本市というシチュエーションが女に輝きを与える。
そして足の間には知性ではなく、本能と淫らな肉欲のみが存在することを教えてやる。
いつもは抱えきれないほどの本を手に入れる。
一人では運べない量にシャルナークを途中で呼び出すほどだ。
それが今年に限っては興味をそそられる品がなかった。
金さえ出せばいつでも手に入りそうなモノばかり。
あえて買うようなモノがない。
もちろん人の命を奪ってまで欲しくなるような古書はなかった。
今年は不作ともいえる古本市だったが、それでもそこそこは楽しめる。
逆を言えば不作の年があるからこそ豊作の年もあるのだ。
ついでに言えば、趣味を語り合いたくなるような興味を刺激してくる女とは出会えなかった。
そんなわけで早目に古本市を後にし、早い夕食を食べてから予約したホテルへと向かう。
贅沢は言わないが・・・
街はずれの運河沿いにその建物はあった。
ホテルというよりは昔懐かしの木賃宿。
それも場末の場末。
『ホテル・インペリアル』 はよかった・・・笑える。
完全に名前負けした建物は、雨風も凌げてはいないのではないかと思われた。
地震が起これば震度５でも崩壊するであろう安普請の煉瓦造り。
滞在中、天災がこないことを祈るのみ。
名ばかりのデラックスダブルが一夜の宿。
底が抜けそうなベッドに、今どき珍しいブラウン管のテレビ。
電源をオンにすれば大半のチャンネルは砂嵐で、映るチャンネルを探す方が難しい。
バスタブはなく、かろうじてお湯の出るシャワー。
どれをとってもＢ級どころかＣ級以下の作り。
中でも嬉しくなってしまうのは、隣の部屋とを仕切る壁の厚さ。
まるでベニヤ板１枚のような薄さは、もう笑うしかなかった。
取り合えずプライベート空間を確保しているだけでも良しとする。
何しろこの近隣のホテルは古本市のために全て埋まっている。
いつもなら早くから定宿のホテルに予約を入れるのだが、今回は何の手違いか予約を入れそこなった。
その結果、やっとの思いで取れたのがこのホテル。
ネットの紹介文には、歴史ある風情漂うホテルとあったが、確かに古さからいえば歴史はあるだろう。
だが・・・それほど嫌ではない。
むしろこのホテルが気に入っている。
生れ付いた肌に合うとでも言うべきか。
まるでホームにいるような安らぎすら感じる。
どんなに高級なホテルに泊まり温々とした羽毛布団にくるまろうと、薄く硬い布団の方が身体には馴染んでいる。
悲しいかな・・・沁みついた性。
まだホームと呼ぶ掘っ立て小屋に住める用になる前、ゴミ捨て場の瓦礫の間で寝ていたごつごつとした感触が、未だに身体の芯から抜け切らないのだ。
壁に染みついたヤニと埃っぽい臭いまでもが、己の歩いて来た道の中に感覚としてこびり付いている。
窓の隙間から入り込む外気も心地良くて妙に落ち付く。
上着を脱ぎ棄てそのままベットに身体を投げ出した。
ぎしりとベットの木枠が軋み、唯一真新しいシーツが疲れた身体を包みこむ。
腹が満たされていたのと歩き疲れたのとで、眠りに落ちるのに時間はかからない。
どれだけ寝たのだろう・・・
眠りを覚醒させようとする音？声？ノイズ？
まるで金縛りのように身体は動かないくせに、意識だけが起きてしまった。
目を瞑ったまま静かに意識に集中する。
研ぎ澄まされた聴覚が、闇の中でその源を手繰っていた。
右隣りの部屋からは声を潜めて話す男達の会話。
左隣りの部屋からは男女の睦み合う声。
まるでステレオのように左右から立体的に聞こえてくる。
右耳に神経を集中させれば良からぬ相談がメロディーを奏でていた。
密やかに声を押し殺し、押し込み強盗の計画を練っている。
真剣に練っている計画も、俺に言わせれば稚拙で失笑するモノだった。
せいぜい返り討ちに合わぬようにと同業者にエールを送る。
左耳に神経を移せば情事の喘ぎ声がリズムを刻む。
どうやら商売女が来ているようだ。
紙のような壁向こうから、男を喜ばす喘ぎ声が洩れる。
上になった女が打ちつける肉音と、ぴちゃぴちゃと捏ねくり回す水音が相俟って卑らしい。
感極まって漏れる男の言葉は放送禁止用語の連発。
一つ一つの音は脳細胞を細かく刺激するが、左右の音が重なれば一つのハーモニーを奏でだす。
まるで子守唄のよう心地よく、覚醒したはずの意識が眠りに呼び戻される。
こんなトーンの中で眠れる俺は何者だ・・・
流星街で洗礼を受けた
あらゆる犯罪に手を染め、俺の手は真っ赤に濡れている
そんな中、今日は安息日
何もせず・・・ただ眠るだけ
End
2017/01/26 改稿
2008/11/13 加筆・修正
2008/08/01
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