Syarnorke 58
メールのやりとりは、ほとんど携帯で済ませてしまう。
だからパソコンに、個人名らしきメールが届くことはめったにない。
まれにクロロとのやり取りで使うくらい。
仕事での調べ物はデスクやラップトップを使った方が効率がいいので、出来上がったファイルはそのままメールに添付して、クロロに送信してしまう。
画像が多い時も、やはりパソコンから送った方が楽だ。
ちなみにパソコンのアドレスに登録されているのはクロロだけ。
従って、クロロ以外は自動的に迷惑メールに振り分けられてしまう。
基本、迷惑メールのホルダーは開かず、そのまま削除するのが普通だけど……
その日に限り、何を思ったかホルダーを開き、リストを覘いてしまう。
奇縁だった……
見知らぬ送信者からのメール。
取り敢えずウィルスの危険はなさそうだったが、有無に関わらず、捨てるべきメールに目を通してしまう。
これって、悩み相談？それとも新手の迷惑メールか？
いかに読み手に興味を持たせ、自分達にアクセスさせるか。
もしくは相手の不安を搔き立てたり、錯覚を起こさせ、自分達に誘導を計る。
これが迷惑メールを送ってくる連中の手口。
人の心理を突いた巧妙なやり口。
それにしてもこの文章は……
犯罪者の俺が言うのも何だけど、誠実すぎるだろ！
真摯な文面に、腹黒の俺ですら心に感じるものがある。
他人のプライベートに興味のない人間がいるだろうか？
文書の構成と内容から、妙齢の女性であることが読み取れた。
妙齢と書き、うら若き女性……名前はＬとある。
今時の若い子には珍しく、自己に厳しい性格の持ち主であることが文面から読み取れる。
それは恩師へのメールで、丁寧な季節の挨拶文から始まっていた。
相談者は学業と仕事を両立させているらしい。
この景気の悪い時に何の職種かわからないが、仕事はいたって順調のようだ。
逆にそのおかげで、学業に支障が出始めていることに悩みを感じているらしい。
考えようによっては贅沢な悩みだが、彼女にとっては大問題のようだ。
だがメールの中に、愚痴や文句の類はどこにもない。
現状を冷静に受け止め、いかに問題点を改善するかを考え、より良きアドバイスを恩師に求めていた。
文章は品がよく、質の高い文面で綴られている。
ただひたむきで真面目なだけのメールなら、なんの関心も湧かなかったけれど、ところどころに見せるウィットに富んだジョークのセンスの良さに、俺はガツンとやられてしまう。
……それにしても、何でこんな聡明な女性がアドレスの入力ミスを？彼女が間違えたのか？
それともアドレス側の人間が慌ててメモ書きにでもし、間違えたアドレスを彼女に渡してしまったのか？
理由はどうでもよかった。
間違えて送信されたメールに、格好の退屈しのぎを見いだした。
より遊びを面白くするために。
俺のハッカーとしての能力を用いれば、簡単に彼女の素性を割り出してしまうが、調べずにいた方が楽しめそうだ。
俺達は名前を頭文字で呼び合おうと約束した。
俺はＳで、彼女はＬ。
Ｌとの大切なルール。
プライベートなことは、話しの流れに必要がなければ質問しないこと。
ただし、自ら話した場合はこの限りにあらず。
彼女は常に相談ごとは仮定で表現をする。
□□□□□
もしも、もしもよ。
私に付き合っている人がいるとして、その人がプロポーズをしてきたとしたら、Sならどうする？
□□□□□
そうだね……ようは、何を優先するかでしょ。
学校や仕事も大切だけど、まずは生活がなりたつなら結婚してもいいんじゃない。
たぶん親や回りの人間は、まだ若いとか学生だからと、反対するだろうけどね。
何を優先するかは、自分の中での優先順位。
俺なら好きな人は奪ってでも手に入れたい。
だって、その人がそれほど好きなんだもの。
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Ｓならきっとそう答えると思った。
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なら、訊かなきゃいいじゃない。
俺の考えってさ、俺としては普通だけど、世間から見たら極論的なところがあるらしい。
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そんなことないわ。
参考意見として、考えるための選択範囲をいつも広げてくれるから、Ｓにはとても感謝しているの。
それでＳの方は、この間話していた女の子とは付き合い始めたの？
□□□□□
あっ、もう別れた。
□□□□□
もう！？
□□□□□
やるだけのことはやって、満足したからね。
□□□□□
酷い言い方だけど、Ｓだと不思議と腹が立たないの。
□□□□□
その娘とは縁がなかったんだよ。
そりゃどうも。
俺だって別に無理やり女の子としているわけじゃないしね。
それにしたいと思うほど魅力的な女の子を目の前に、口説かない方が失礼でしょ。
それにやった後で、この娘と絶対に付き合いたいという気持ちにならなかったのだから、その娘とは縁がなかったんだよ。
一期一会かもしれないと思ったら、俺は自分の気持ちのままに行動したいんだ。
男なんて多かれ少なかれ、口に出さないだけでそんなものさ。
逆に言えば真剣に結婚を考えてくれる男がいるなんて、それだけＬを欲しているわけだし、誠実そのもだと思うけど。
□□□□□
そうね……いつも有難うＳ。
□□□□□
どういたしましてＬ。
□□□□□
こんなメールのやりとりが半年以上続き、俺達は何でもざっくばらんに話せる関係になっていた。
もちろんＬとは直接会ったことがない。
あくまでもメールのみの付き合い。
それでも毎日メールを交わすことにより、互いの心情を理解し合い、よき友人関係になっていた。
Ｌの間違いメールに、俺は自分なりの回答を添えて返信をする。
予想どおり、俺のメールにＬは反応を示す。
間違いメールを丁寧に詫び、俺の回答が適切だと素直に感謝を表した。
もしよければ、このことをきっかけに悩み事の相談相手になってくれないかと頼まれる。
互いの素性は訊ねないことを条件に。
もちろん俺はＯＫだ。
それから二人の間にメールのやりとりが始る。
最初は仕事についての悩みだった。
だんだん打ち解けてくると、恋愛の悩みへと話しは進んでゆく。
もちろん俺は誠実に、自分の考えをメールにしたためる。
そして、たまには俺も悩みごとを話せば、Ｌはウィットに富んだ答えを返す。
時には魔法のような言葉で俺を煙に巻くこともあるけれど、いつしか俺はパソコンのメールを開くのが楽しみになっていた。
「よくそんな関係が続けられるな。俺だったら女の素性を調べ、いの一番に会いに行ってしまいそうだ」
仕事のために俺の隠れ家に訪ねて来ていたクロロは、俺とＬの関係に呆れかえっていた。
「それで、会いに行って自分好みだったら、クロロはすぐにでも口説くつもりでしょ？」
「当たり前だ。それだけ相談にのれば情もわくし、相談料として、それぐらい許されるだろ？」
「Ｌに彼氏がいても？」
そう、許されるはずさ……
以前の俺なら、クロロと同じことを考えたに違いない。
でも……
Ｌとメールのやりとりをして、彼女の姿をあれこれ想像したことはあるが、不思議と素性を調べる気にはなれなかった。
奇縁で知り合った仲とでもいうのだろうか。
Ｌとのメールを交わすことが楽しく、互いを直接知らないからこそ本音で話せることがたくさんあることに気が付いた。
いつもＬの相談にのにり、彼女のストレスを軽減させていたが、実は俺の方が彼女によって癒されていたのだ。
だから純粋にＬの幸せを願っている。
彼女ならきっと素晴らしい結婚生活を送れるだろう。
そう考えると、知らず知らずのうちに顔が緩む。
何事かと怪訝な顔をしてこちらを見るクロロと、目がピタリと合ってしまう。
俺は気まずさからテーブルの上に置かれていたテレビのリモコンを手にし、会話のために落としていたテレビの音量を上げた。
テレビではちょうど現役大学生の人気モデルと、有名企業オーナーとの婚約記者会見の真っ最中。
歳の差２５歳！？そりゃあ、話題にもなるはずだ。
しかも突然の婚約記者会見では。
モデルの女の子は並の美人ではなく、超を付けてもいいくらいだ！
婚約者として彼女の横に座る男は風格を漂わせるが、婚約者というよりは付き添いの父親のように見えてしまう。
女は男の資産が狙いか？
男にとっては弾けるような若さと美しさが魅力だったのか？
『妊娠しているんですか？』
レポーターの無遠慮な質問。
『妊娠はしていません。結婚は随分と迷いました。交際をしてまだ５ヶ月ですし、私が学生ということもあるので。モデルの仕事は結婚を機に引退しますが、大学はきちんと卒業するつもりです』
『それで、結婚を決めた理由は？』
レポーターから容赦なく浴びせられる質問に、モデルの女の子は微笑みながら一つずつ丁寧に答えてゆく。
『もちろん彼の人柄です。でもプロポーズをされた時は色々と悩みましたが、適切なアドバイスを下さる方がいて、一歩前に踏み出すことが出来ました。今その方に、とても感謝をしていま/////』
リモコンはクロロの手に奪われ、電源をいきなりオフにされてしまう。
「世の中平和だな。モデルの婚約発表だなんて」
クロロの辛辣な言葉に俺は苦笑いをしたが、何故かモデルの女の子が強く印象に残った。
爽やかな受け答えから、先ほどの金銭目的は訂正させてもらうことにする。
「それで、次の仕事の話しだが……」
ホームのサロンにテノールの声が響く。
はい、はい、仕事の話しね。
俺はソファーに深く腰掛けるクロロの隣に座り、集めた資料の詰まったパソコンを開く。
END
2017/10/16 改稿
2009/09/18
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2009年このころは、まだラインなどない時代だった……