「！！！」
雑踏の中、俺の１５メートルほど前をシャルナークの奴が歩いていた。
歩いていること自体は特別なことではない。
人は歩行能力を持った生き物なのだから、歩くのは当然のことで、駆けたり飛び跳ねたりすることもある。
時にはそそり立つビルの壁を地面代わりに走ったりもするが、これは緊急時のみで、普段は出来る限り目立つ行動は避けるようにしている。
日常の俺達は一般社会に溶け込み、互いに個として尊重し合う。
そして招集がかかった時のみ蜘蛛として活動をする。
そんなことからこの場所で、シャルナークと出会ったことは偶然だったとしか言いようがない。
だが思い起こせばシャルナークが所有する隠れ家の一つに、この街の名前があったような気がする。
４年に一度、蚤の市としては世界３大市にも数えられる市が、この街で盛大に行われる。
そのために掘り出し物を狙って俺はやって来たのだが、まさかシャルナークに出くわすとは考えもしなかった。
元々一ヶ所に腰を落ち着けるような男ではないが、３大蚤の市というキーワードが、盗賊である俺達を引き合わせたのかもしれない。
なにしろ一週間続く市で、５００億ジェニーの金が動く。
昨今ではヤクザの連中がマフィアに対抗して地下競売を行い、売り上げでは最大を誇るヨークシンの地下競売に迫る勢いだと言う。
今回俺は純粋に蚤の市を楽しみに来た。
だから年中仕事で顔を合わせているシャルナークを誘わず、一人で来たのだ。
こちらに気付かぬシャルナークに声をかける必要もなかった。
だいたいシャルナークは女連れだ。
無粋に声をかけるのは野暮というもの。
だが俺の目はシャルナークと並んで歩く、ヨルビアン系の若い女に釘付けになってしまう。
２人は仲良く手を繋ぎ、人混みの中で他人の目もはばからず、歩きながら何度も軽くキスをかわす。
その２人の幸せそうな顔。
チュッチュ、チュッチュと音が聞こえてきそうだ。
そしてたまに立ち止まり、道の両際に立ち並ぶ骨董品屋を冷やかしていた。
見るからにただの知り合いとか友達というレベルではなく、情を通じた男女の関係にあることは一目瞭然。
俺は唇をクッと噛みながら、女をじっと見る。
アンティークのアクセサリーを扱う露天商を覘きこみながら、金色の髪をさり気なく手櫛で梳いた女の名前はセラ。
どうせ本名ではあるまい。
１年前は腰まで届くロングヘアーだったが、今は肩辺りまで切られている。
以前の艶のある化粧とは逆に薄化粧だが、俺の目を誤魔化すことは出来やしない。
シャルナークにはどんな偽名を使っているのか？
嫌な思い出が蘇り、腹立たしさがこみ上げてくる。
今すぐ女の首根っこを押さえてやりたいところだったが、獲物は手中に収めたも同然。
これだけの至近距離を逃がすとは考えられない。
いざとなればシャルナークに女の正体をメールで暴露し、その場で捕まえさせればいい。
だから今は少し様子を見ることにしたのだが……イチャイチャとは、こういうことを言うのか！？
２人の話し声は周りの騒音で聞こえないが、女の耳元で顔を緩めながら話すシャルナーク。
くすぐったそうに肩を竦め、甘えるそぶりをしながら受け答えをする女。
シャルナークは女の腰に腕を回し、自分の身体に女を密着させ、芋の子を洗うような通りをしっかり女をガードして歩く。
何も人混みで、わざわざそこまでする必要はないだろう。
嫌でも他人と肌が触れてしまう混みようだ。
人の多さに２人との定距離が少し開いた時、目の前に壁のような体格の男が邪魔でもするかのように割り込んで来る。
『チッ』と軽く舌打ちをし、障害物から視線を横にずらせば、露天で売られるアンティーク雑貨の中に埋もれるように１本のナイフがある。
ベンズナイフ！それも極めて珍しい初期型！！
今までどんなに探しても見付けることの出来なかった初期型のベンズナイフが、無造作に売られているではないか。
心の中で歓喜の叫び声をあげ、引き寄せられるように店へと近づいた。
……交渉１５分。
足元を見られぬように上手く掛け合い、贋作だと信じて売っている店主から、安値で本物のベンズナイフを手に入れる。
金を積んで物を手に入れるのは簡単だが、それでは面白みがない。
そんなことをするくらいなら奪った方がましだ。
ここは蚤の市。
丁々発止で我が物にすることが醍醐味と言える。
新聞紙で包んだ品を店主から渡され、意気揚々とその場を後にした。
肝心のシャルナークと女はと言えば……
当然この人混みに、どこへ行ってしまったのか分からない。
すぐに携帯を取り出し、シャルナークの居場所を確認する。
『……なに、クロロ？蚤の市に来ているの？』
「ああ、それで今一人か？」
さり気なく女と一緒にいることを確かめれば、
『ちょっと前まで女の子と一緒にいたけど、彼女急に用事が入り別れたところさ。だから今は１人だけど……会う？』
都合よく、シャルナークの方から会うかと切り出してくれた。
１０分後には蚤の市に併設された屋台で紙コップに入ったビールを買い、シャルナークと立ち話しをしていた。
「それで、一緒にいたと言っていた女とは長いのか？」
「そうだね……長いといえば長いかな。かれこれ３年以上は付き合っているからね」
「３年！？」
こと女に関して飽きっぽい男が３年も！驚きのために一瞬声を失った俺に、
「付き合っているといっても恋人なんて関係じゃないよ。他にも関係のある女の子は複数いるしね。でもリックスは、一番相性のいいセフレといった感じかな」
「……」
「リックスといると気が楽なんだ。他の女の子達のように何だかんだ強請ってくることもないし、愛情の押し売りもないしね。それに俺が蜘蛛だってことは知っているから、何も気を使う必要がなくて付き合い易いんだ。その上お互いに、大のセックス好きときているからさ。あっちの方も相性がバッチリさ♪ちなみに昨夜もリックスとやりまくって、腰がかなりおかしい」
ふざけるように腰をさするジェスチャーが笑えなかった。
あの女、シャルナークにはリックスと名乗っているのか。
「それでその女、何をしているんだ」
俺はそれとなく鎌をかけてみる。
するとシャルナークは、実に興味深い話しを始めた。
「リックスの仕事のこと？彼女は強盗だよ。正確に言うと昏睡強盗と言うべきかな？」
「昏睡強盗！！」
シャルナークの予想もしなかった答えに、俺は心の中で口をあんぐりと開けてしまう。
もっとも女の容姿を考えれば、一晩のアバンチュールを断われる男がどれだけいるのか……
「そう。昏睡強盗。男を垂らしこんで眠らせて、その間に金品を奪うのさ。眠らせるといっても薬物を使うのではなく、リックスにキスをされた男は深い眠りに落ちてしまうんだ」
「操作系の能力者か？」
「そういうわけでもないんだ。念能力者として完全に目覚めているわけではなく、まだ半覚醒といったところ。リックスにはきちんと修行をして、念能力者になることを勧めているんだけど、今のままで十分稼げるからいいって言うんだ。俺はもったいない話しだと思うんだけど、本人がいいって言うし、無理強いしてもね。世の中には助平でがっついている連中が多いから、リックスは食いっぱぐれる心配がないって、笑ってた」
「……」
思わず押し黙ってしまった俺に、シャルナークの話しはお構いなしに続く。
「リックスの話しでは、自信過剰の色男ほど鴨になり易いって。日頃から、女は自分に必ず落ちると信じているんだろうね。むしろ冴えない男ほど半信半疑で、キスに持ち込むのに時間がかかって面倒臭いんだって」
だが妙に納得してしまうシャルナークの話し。
「それでね、俺が彼女の念能力に名前を付けてやったんだ。騙されるバカには一度のキスを。そして俺には親愛の意味で３回キスをすることってね。だから念能力の名前は騙されたバカに皮肉をこめて、【kiss♡kiss♡kiss】って言うんだ」
けらけら笑いながら話すシャルナークの顔を、思いっきり殴ってやりたかった。
なぜなら俺は１年前、あの女に鴨にされたバカな男だから。
女とはとあるホテルのバーラウンジで知り合い、そのまま泊まっている部屋へと連れ込んだ。
甘い言葉を口にし、女の腰に腕を回しながら柔らかい唇に触れたところまでは記憶している……
目覚めれば朝になっていて、俺の身体は床の上に転がっていた。
当然女の姿はどこにもなく、俺の財布がなくなっている。
ついでにスーツの内ポケットからは、数日前に資産家宅から盗んだ宝石もなくなっていた。
爽やかな朝とは逆に、自分の身に起きた出来事に愕然とするばかり。
驚きはすぐに怒りに変わり、次に出会った時はあの女に思い知らせてやると、固く心に誓ったのだ。
ケラケラと笑うシャルナーク。
それは騙された男達への軽蔑か。
だがシャルナークの女の名前を口にした時の表情は、この上なく優しいものへと変わる。
そう言えば、女のシャルナークを見る目も柔らかかった。
相性のいいセフレか……
本当にそれだけなら、３年なんて時間を保つことなんて出来やしない。
たぶんリックスというのは本名だろう。
羨ましくなるような２人の気易い関係。
リックスの枕探しも、キスより先に進むことはないはず。
つまり俺は、高い教科書代を支払ったということらしい。
シャルナークの話しに、知らず知らず相槌を打っていた。
騙された愚かな男共のことを２人で大笑いし、女は怖いと怯えて見せる。
そして俺は、先ほど手に入れた初期型のベンズナイフを自慢する。
酒もほどよく回り饒舌になってゆく。
時間が経つのも忘れてしゃべり、ごった返す蚤の市を遅くまでシャルナークと歩き回る。
こうしている間にも、リックスにキスをされている男がいるのかもしれないと思うと、自然と笑いが込み上げ、シャルナークと顔を見合わせてしまう俺だった。
kiss♡kiss♡kisss 関連作品
kiss me 俺が好き？ kiss me 私が好き？ 地下格納庫kiss me (in the bed) 地下格納庫（地下格納庫へは、ここからではリンクいたしません）
END
2018/05/05 改稿
2014/08/26 加筆・修正
2010/05/23
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