我ながらリエル相手に、愚かな質問をしたものだと思った。
否、正確にはリエルに対して質問をしたわけではない。
しかし一度言ってしまった言葉を、今さら消しゴムで消すようなことは出来やしない。
今俺に出来る最善のことはリエルの口を手で塞ぎ、他の客のいない物陰に連れ込み、厳重注意を与えることだった。
「バカ！場所をわきまえろ。お前は女のくせに、恥ずかしいという言葉を知らないのか」
俺は声を押し殺し、塞いでいたリエルの口を解放しながら言った。
「クッ、クロロ、いきなり何をするのよ！わたしはクロロに質問されたことを答えただけじゃないの。それにこの場合、女のくせにという形容は必要ないと思う。女性蔑視反対！女性上位賛成！」
「……」
「ちなみに女性上位って、わたしがいつもクロロの上に乗っている体位のことじゃないからね」
分かってる！！わざわざそこまで説明してくれるな。
リエルは憮然たる表情で抗議するが、俺の口調につられて声を潜めた。
それでも静まり返った美術館の高い天井には、俺達の声がノイズとなって反響して行く。
おかげで巡回していた学芸員に睨まれてしまう。
―――絵画に見るエロス展―――
タイトルに惹かれたというわけじゃないが、一美術愛好家として、学術的見地から美術館を訪れた。
古今東西の有名画家や彫刻家が生み出したエロティック・アート。
本来なら人目に触れることのなかった淫靡で官能的なアートの秀作。
高尚な言い方をしたが、人間誰しもが持っている性への探究心が、『エロス展』という文字に触発され、見学に来たというのが本音。
連日大盛況だったエロス展も連休明けの平日、しかも午前中ということも相まって、比較的空いている。
客の大半は男女問わず俺と趣旨は同じと思われる。
だから何が恥ずかしいものかと思うのだが、やはりリエルの発言には狼狽せずにいられなかった。
本当は俺と並んで絵の鑑賞をしていたリエルに質問したのではなく、何となく口した独り言。
『……エロスとエロの違いはいかに』
『エロスは服を脱いでクロロがベッドの上でやりたがることで、エロは服を着たままソファーの上でクロロがやりたがること。もしくは玄関の扉に手を付いてやること』
即座の返答は、まるで漫才のボケとツッコミのようだった。
あっけらかんとこちらが赤面することを、元気よく展示室に響き渡る声で言ってくれる。
鼻白む……何を好き好み個人的な情報を、しかも大声で世間に発表しなけりゃいけないんだ。
これでは俺が色情狂か変態のように聞こえるではないか。
おかげでぽつぽつと居た客の視線がこちらに向けられてしまう。
興味本位な男の視線はまだいい。
若い女の軽蔑したような視線が痛い。
『お前らだって、さして変わりのないことをやっているんだろ！』と、声を大にして言ってやりたかったが、リエルが更に何かを言おうとしたので慌てて口を塞いだ。
そして展示室の隅に飾られていた、等身大の彫刻の陰に連れ込んだのだが……
頬をぷっと膨らまし、三白眼で睨んでくる。
俺に対するオブジェクション表明なのだろうが、元々目尻が垂れ、童顔ときているから迫力がない。
それなのに、やたらベッドの中では艶かしくなるのだから不思議だ。
だいたい何だって、こんなデリカシーのない女と関係を持ってしまったのだろう。
しかも現状は半同棲に近い。
今さら後悔してもしょうがない。
この女、アントレ（前菜を示す）にはなるが、メインにはなりえないはずだった。
惰性？習癖？腐れ縁？
コケティッシュな女は好みでなかったが、リエルとはどこか一点感性の交わる心地よさがある。
普段はずれまくるくせに、時として恐ろしいほど的を射てくる。
俺が言葉にしづらい感情表現を鋭く口にする。
だが芸術鑑賞というこの場には、芸術にまったく関心のないリエルではなく、造詣のある女をチョイスするべきだった。
完全なキャスティングミス。
そうすれば公衆の面前で恥じをかかされるなんてことはなかったはず。
自問自答に答えを出そうとした時だった。
またもや俺を赤面させる爆弾発言が！
「クロロって、外見に似合わずスケベだよね」
「スケベ！？」
いきなり正拳で顔面を突かれたような衝撃。
「そう。スケベ。だいたいこんな展覧会に女性を誘う時点で、今日はやる気満々だって言っているみたいだよ。あっ、ごめんね。いつもはやる気がないと言っているのではなく、いつも以上にやる気だってこと」
俺は絶句した。
外見に似合わずは、まぁ好しとしよう！
つまり俺の見栄えの良さは認めているわけだ。
しかし似合わずとは否定ではあるが、その後のスケベを肯定している。
男としてスケベであることは認めてやるが、もう少しボキャブラリーがないのか。
言うに事に欠き、スケベとは！
こういう時こそ『エロい』だろ。
もしくは『エロティック』だろ。
言い方一つで印象が大きく変わるのだから、言葉には気を配れ。
そんなことを天然のリエルに要求してもしょうがない。
でも一応は言ってみることにした。
「エロスとはエロースとも言って、本来の意味は受苦として起こる愛のことだ」
「受苦？それって、ＳＭプレイのようなもの？」
やはりそうきたか……
「違う。もっと尊い感情だ。今、俺の置かれている状態ともいえる」
リエルは俺の口から出た言葉が意外だったのか、意味が飲み込めないのか、きょとんとしている。
そう……まさに受苦だ。
お前と付き合うこと自体が苦行の一環だといってもいい。
それでもお前と付き合っているのは……
家に帰ったらお前の言うエロで、主張する女性上位で逝かせてやる♪
それとも今の俺と同じように、受苦のＳＭプレイを体験して貰おうか♪
軽く言葉攻め程度はしたことがあるが、リエル相手に本格的なSMプレイはまだしたことがない。
どちらにしても楽しい想像をしながら、俺の芸術鑑賞は続く。
この後エロティック・アートを前に、リエルが際どい発言を連発したのは語るまでもない。
穏やかなるエロス 関連作品
穏やかざるエロス 注意：地下格納庫作品ではありませんが、エロな会話しかありません。
End
2017/05/01 改稿
2011/05/21
Back芸術新潮の『北のエロス』特集を読んでいて触発されました。