Syarnorke 116
付き合い始めたシーアがコーヒーテーブルを挟み、目をキラキラさせて訊ねてくる。
「シャルは子供のころ、どんな悪戯をした？」
シーアの予測もしていなかった質問に、俺は不意打ちを食らった。
大きな青い瞳が、期待をこめてこちらを見つめる。
気のせいか、少し身を乗り出しているような気すらする。
いつもなら、すらすら出てくる言葉が喉に張り付いてしまう。
なぜならば、今までこんな質問をしてくる女の子はいなかったから。
女の子とデートする場合、その会話は概ねパターン化されている。
だから付き合うと決まった女の子の趣味や行動、家庭環境に友人関係を事前に調べ、デートでの会話をそつなくこなせるように準備しておく。
また、体の関係を持った前と後では、同じ会話の内容でも親密度が大きく変わる。
基本的に女の子はおしゃべり好きだから、聞き役に回っていれば理解ある男性と思われる。
そして話しの要点にポイントを絞って答えれば、より印象度がアップする。
後は女の子を楽しませる先端の話題をいくつか押さえ、ウィットに富んだ会話をすればデートで困るはずはなかった。
それが何だって、予想もしなかった子供時代の悪戯話になるんだ。
内心返答に困ったものの、そんなことは曖気にも出さず、
「どうしてシーアは、そんなことに興味を持つの？」
「だってシャルのことが好きだから、何でもシャルのことは知りたいの。特に子供のころの話しは、誰だって興味があるものでしょ？」
誰だって！？否、今までたくさんの女の子と付き合ってきたが、そんな質問をいきなりしてきたのはシーアが初めてだ。
そりゃ子供のころの話しになったことはあるが、流星街育ちの俺にとっては触れられたくない話題で、適当に話しを作ってその場を切り抜けてきた。
いくら好きだからと言って、なぜそれが子供時代の悪戯話しになるのか、俺には理解出来ない。
ならばシーアに同じことを質問してみよう。
「わたし、わたしはピンポンダッシュかな」
即答で答えるシーアに、俺も即答で返す。
「ほんとうに？俺も子供のころは、近所のドアホンを押しまくったよ」
シーアは二人の共通の経験に、実に嬉しそうに笑う。
もちろん俺のピンポンダッシュはウソだけど。
流星街にドアホンを付けている家があったら、お目にかかってみたいものだ。
悪戯話しをきっかけに、シーアは次々と自分の子供時代の話しをする。
俺はニッコリ笑いながら相槌を打ち、後はいつも通りのパターン化されたデートの会話が続く。
悪戯というものは、悪意がないから悪戯なのだそうだ。
言い方を変えれば、悪意を持って行えば犯罪と言える。
つまり悪戯を『いたずら』と読んでいる間は可愛いものだが、悪戯を『あくぎ』と読むようになると、どす黒いモノを感じてしまう。
また自分にとっては悪意のない悪戯であっても、相手にはトラウマになりかねない悪戯もあるし、その逆もまた然りで、更には自分のした悪戯が、トラウマとなって自分に返って来る場合もある。
遠い昔、あれは悪戯だったのか、悪戯だったのか……
クロロは忘れてしまえと言うけれど……
俺より一つ幼いカツキが死んだのは、間違いなく俺のせい。
俺がゴミ山に生えていた、見慣れぬ植物の実をホームに持ち帰れば、クロロがそれは甘く美味しい果物だと教えてくれる。
飢えていた俺は当然の如く嚙り付く。
それは中身のない、苦みのある食べ物。
不味さのあまり吐き出す俺を見て、クロロがゲラゲラと笑い、俺は騙されたのだと知った。
信頼していたクロロに裏切られ、口の中に残る苦さが増して行く。
あの悪戯がトラウマとなり、俺は未だに緑の実が食べられない。
一年後、俺は半年前にクロロが拾ってきたカツキの手を引いていた。
カツキは大人しくて優しい子。
いつも俺の服の裾を掴み、俺が行く所にはどこにでもついてくる、可愛い弟分。
カツキが拾われて来るまで一番年下だった俺が、なんだか偉くなったような気がした。
カツキを連れてゴミ山へ遊びに行けば、昨年俺が苦い思いをしたピーマンの生えていた場所に、見知らぬ植物が再び生えている。
それはツル性植物で、上には伸びず、横に這うように成長していた。
そして所々に、濃い緑色のゴルフボールくらいの実を、葉に隠れるように実らせている。
特徴的なのは、薄い緑色の細い縦縞が入っていること。
俺は本で見たスイカのようだと思ったが、直感的に別物であることに気が付く。
この時俺はひらめいた。
去年俺がクロロに悪戯されたように、カツキにも悪戯をしてやろうと。
『カツキ、この緑色の実はスイカと言って、甘くて美味しいんだよ』
俺は足元の実を指差しながら言った。
するとカツキはペタンと地面に座り込み、俺を疑うことなくその実を手にする。
そして力任せに引っ張り、蔓から実をもぎ取ると、がぶりと噛り付き、中の柔らかい果肉をすする。
俺はワクワクしながら次の反応を待った。
それなのに……
カツキは少し口を尖らせ、『美味しくない』と言ったが、飢えていたカツキは幾つもその実を頬張った。
飢えた腹を、ただ満たすだけの手段。
俺は期待を裏切られてがっくりしたが、昨年の件があるので、どうしてもその緑の実を一緒に食べる気にはなれず、カツキが一生懸命に食べる姿を見ていた。
騒ぎは一時間後に起こる。
ホームへ戻り少し経ったころ、カツキが腹痛を訴えたのだ。
腹を抱え苦しみながら、嘔吐と下痢を繰り返す。
何事かと仲間達が対処に追われる。
追われると言っても医者のいない世界での話し、具体的に治療が出来るわけじゃない。
出来ることはと言えば、寝かしたカツキの下の世話をして、吐いた汚物を片付けることくらい。
パクとマチが必死に世話をするのを、俺は呆然と部屋の隅で見ていた。
クロロがカツキの症状を見て、経験から食中毒ではないかと言った。
昼間カツキと一緒にいた俺は、何かクロロに質問されるのではないかと、ドキドキしながら立っていたが、クロロが俺に問いかけることはなかった。
二度とカツキが俺の裾を掴むことはない。
翌日の明け方、幼いカツキは一人寂しく旅立ってしまう……
しばらくして、カツキが食べたのはスズメウリの一種で、地域によっては毒瓜とも呼ばれている、危険な植物であることを知った。
健康な大人が食べても、かなり酷い腹痛を起こす。
ならば、体力のない幼い子供が食べれば……
あれから俺は、色々と本を読み漁るようになった。
最初はゴミ山から図鑑を探し出し、動植物について覚えて行く。
知識の幅が広がり、もっと詳しく物事を知りたいという探求心に、クロロが手を差し伸べてくれる。
子供でありながら、いつも本を読んでいたクロロの知識が、想像以上に深いものであったことに驚かされる。
俺が何も知らず、カツキに毒瓜を食べさせてしまったのとは違い、クロロは初めて現物を見たピーマンが食用であり、独特の苦味が特徴であることを学んでいた上で、俺に食べさせたということ。
同じ悪戯でも、中身がまったく違う。
そんなことはほんの一端で、クロロの知識が俺達を生かしていたことに驚きを隠せない。
腕っぷしが強くなることも重要だが、俺にとってはそれ以上に知識を得ることが課題となった。
死んでしまった者はしょうがない。
ここでは弱い者が淘汰されるだけ。
だから気にするな……忘れてしまえ……
俺はカツキに悪戯をしたことが、怖くて誰にも言う事が出来なかった。
大人になった今だって、誰にも話してはいない。
冷たくなったカツキを埋める時、クロロが口した言葉。
飢えている者は、落ちているモノでも口にする。
だから気にするな……忘れてしまえ……その代わり、二度と同じミスをするな。
「……シャルってば」
シーアの呼びかけに、俺はハッとした。
顔を起こせば心配そうに、俺の顔を覘くシーアの顔がある。
「急に黙り込んで、どうしちゃったの？」
「……ごめん。シーアと話していたら、急に子供のころのことを思い出しちゃってさ。ノスタルジックな気分に浸ってた」
「そうなんだ。シャルって、けっこうおセンチさんなんだね♪」
何も知らないシーアが、ニコニコ笑いながら脳天気に言う。
……ノスタルジックなんてものじゃない。
生と死を分ける生々しい記憶で、センチメンタルと言うにはほど遠い。
俺は作り笑顔を浮かべ、シーアと機械的に話していた。
そしてしばらくすると、
「本当にごめんね。今日はパパの誕生日だから、早く家に帰らなくちゃ。ママがご馳走を作って待っているの」
「分かっているよ。最初からお父さんの誕生日だってことは聞いた上でのデートなんだから、気にしないでいいさ」
シーアは隣の座席に置いてあった、父親へのプレゼントの包みを手にする。
俺達はシーアの家から１０分ほどのカフェを後にした。
付き合い出したばかりだというのに、シーアは店を出るなり、俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
近所の人に見られたら、どうするの？まっ、俺はいいけどさっ。
どうせ２、３ヶ月の関係だし……
シーアが望む通り、誰が見ても仲睦まじいカップルを演じてあげる。
後一回曲がればシーアの自宅というところで、俺はシーアの額にキスをして別れた。
もちろん、次のデートの約束をして。
俺は薄暗くなってきた、閑静な住宅街を一人歩く。
高級住宅地とは言えないが、平均以上の人々が住む町。
明かりのつき始めた室内に、幸せそうな家族の顔が浮かび上がる。
楽し気な子供の声に、優しそうな母親の声。
飼われている犬ですら家族扱いで、俺達の子供時代より遥かにいい生活をしている。
胸にこみ上げてくる何か……
『……カツキ、こうやるんだ。ピンポンダッシュって』
俺は心の中で声にし、目に付いた家のドアホンを押すと、一目散に駆け出した。
『カツキ、面白いだろ？いたずらって』
溢れ出る涙を、俺は走りながら拭う。
たわいもない悪戯 関連作品
食わず嫌いと言うけれど・・・
END
2017/11/01
Back